ようこそのお運び誠にありがとうございます。
鈴木さんでございます。
先日、松本零士先生のマンガ「銀河鉄道999」を読み直す機会があったんですね。
この漫画版「999」を初めて読んだのって自分が小学校の頃だから、もう40年位前になるんですっかり内容忘れてるし、テレビ版も同じ時期なんですけど、テレビも最後まで観てないし、漫画も途中から読んでないんです。
これは、映画版がテレビシリーズと原作漫画がまだ最終回を迎えていないのに、物語の結末や謎をハッキリと描いて、作品として一応の完結を見せたからなのが大きいですし、映画版の続編で完結編である「さよなら銀河鉄道999」を観て、俺の999は映画版なんで原作漫画やテレビはもういいかなって思っちゃったのが正直な感じです。
だからその後劇場公開された「銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー」もテレビ版のキャラクター設定の流れだったので観なかったし「キャプテンハーロック」や「クイーン・エメラルダス」も「999」のイメージが強過ぎてなんか中途半端に感じちゃいましたしね。
だから自分にとって「999」と言えば映画版だし、原作漫画やテレビ版は記憶に封印したレベルで無かった事になってました。
今の作品でそんな事言ったら原作厨に叩かれますよね、ホントすいません……。
そんな考えだった私が今になって読んだ漫画版「999」。これがどうだったかと言うと、読んでビックリというか、映画版の構成の妙っていうのかな? このキャラクターって原作ではこういう感じで出てきたんだった! とか、このエピソードをああいう風に作ったんだ! という感じで凄く驚いたんですよ。
例えばアンタレス。
映画版では母の敵討ちの為に時間城に乗り込んだ鉄郎に協力し、鉄郎に「メーテルには気を付けろ」というセリフを遺す物語で重要な役割を担うキャラクターです。これが漫画版だと、列車強盗のおっさんです。
鉄郎に淡い恋心を抱き、クライマックスで非業の死を遂げるウエイトレスのクレアも、物語開始直後の1エピソードに過ぎず、そんなに印象に残るキャラクターじゃないんですよ。
鉄郎のトレードマークでもある、あの帽子とマント、それに戦士の銃も映画版ではトチローの形見になるんだけど、漫画では惑星タイタンに住む女性の息子である宇宙戦士の形見なんですね。映画版ではトチローの最後を看取ったというエピソードが、鉄郎とハーロック、エメラルダスの絆を繋ぐ深い理由になるので、こういう作りは上手いと言わざるを得ません。
原作を読み返してから改めて映画版を観ると、これこそが作品創りだよなーって凄く思いました。
友人の脚本家に何年か前に聞いた事があります。
今は「原作至上主義」という風潮があって、なるべく原作のイメージを損なわず、改変も大胆な構成もせずに原作ファンが納得するように映像化する感がある現場もあるそうで、脚本家に「原作の通り進めてくれ」と指示がある事もあるそうです。
脚本家いらないじゃん!!
自分思うんですけど、漫画には漫画の、アニメにはアニメの、実写には実写に最適な創りはあるし、原作をそのまま映像化するんだったら原作以上の名作は生まれないですし、それは原作のプロモーションですよ。
私は京都アニメーションという制作会社が好きです。
作画がいいと評判になる事が多いですが、私が好きな最大の理由は構成力です。
例えば「けいおん!」というアニメがありますが、この作品は日常系のいわゆる萌え4コマが原作です。
その普通の4コマ漫画を、しっかりとしたドラマとして見せてくれました。
もともと原作の4コマ漫画を読んでいたので、最初アニメ化されると聞いたときは日常系ののんびりしたアニメだと思ってましたし、一期はそんな感じでした。
でも二期でしっかりとドラマとして昇華させたんですよね。
「聲の形」もそうです。
コミックスにして5巻分を、2時間前後のアニメーション映画として再構成するのに、原作にある映画を作るというエピソードを丸々カットしました。
原作漫画ではクライマックスに繋がるエピソードです。
それなのに、原作の持つ空気感も損なわず物語としてしっかり成立させる大胆な構成で映画としてとてもいい作品に仕上げています。
これこそ映像化の醍醐味なんじゃないかと自分は思うんですよ。
「銀河鉄道999」が製作された時代は、原作そのまま映像化の方が少なかったんですよね。だから、あの小説や漫画がどうアニメ化されるのかってワクワクしたもんです。
もちろん「うへぇ……」ってなった作品も多いですよ。いや、そっちの方が多かったかな?
一番大事なのは「原作の空気感」だと思うんです。
そこを大事にしていれば、原作を大事に思っているファンはきっと認めてくれると思いますよ。